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童謡「通りゃんせ」は雨情の作品だった?

通りゃんせの像
国道6号線沿いにある
「通りゃんせの像」
 北茨城市を歩くと、「通りゃんせ」と称した施設などが目に付きます。
 これは、童謡詩人野口雨情が「通りゃんせ」を作ったことに由来するといわれる反面、「通りゃんせ」は 川越市の三芳神社を発祥地とする作者不詳の童歌(わらべうた)ともいわれてきました。
 ところが、2001年8月4日の読売新聞茨城東地域ニュースで、1920年頃に収録されたレコード に、「通りゃんせ」の作者が野口雨情と記載されていたことが報道されました。
 このことは、通りゃんせの像や、通りゃんせ温泉について、野口雨情との誤解をまねくという今までの指摘に対して、 雨情との関係を根拠付けるものとして注目されるものです。

 上の写真は、通りゃんせの像とされています。  後方に見えるのは二つ島で、茨城県で草木が茂る島は希少です。
 道路を挟んで島の反対側には山が迫り、国道も昭和30年代までは交通の難所でしたが、 山を切り出して現在のような広い道路になったのを記念して、ブロンズ像が造られました。

 右の写真は、中郷温泉「通りゃんせ」です。 中郷工業団地造成の際に湧出した温泉を利用し、 平成11年に温泉保養センターとしてスタートしました。
 この温泉保養センターを開設するにあたり、名前を公募したところ、 当選したのが「通りゃんせ」という名前でした。
中郷温泉「通りゃんせ」
中郷温泉「通りゃんせ」